携帯からはコチラ

2007-03-12

No.62 SONY

暫くPCとPS2ぐらいしか付き合いが無いSONYと私だが。
機種変の度悩んでいたSONY携帯に、遂に変えた。
何だか昔の恋人とよりを戻したような、くすぐったさがある。

元々私は大のSONYファンだった。話は中一まで遡る。
私は、夜になると全国の電波が受信できるAMラジオが好きで、よく他府県のローカル番組に投稿していた。
感度のいいラジオが必要だった。当時まともにラジオの感度を追求していたのはSONYだけだった。
世界中の放送が聞ける短波ラジオを買った。地球の裏からの生放送は、ネットの無い時代には物凄く貴重な情報源に思えた。
SONYの「本質の性能」を売る技術屋としての矜持に、畏敬の念を抱いた。
ウォークマンやミニコンポ、乾電池の果てまでSONYばかり買っていた。

最近は、あまり評判が良くない。SONY製品が嘲られるのを見る度、胃のあたりがチクリと痛む。貢献したくなる。
具体的には、技術屋としての矜持を久々に感じさせる、世界最速CPU搭載の脅威の高性能量販機、PS3を買いたいのだが。
携帯を買ったから、当分無理だろうな。

2006-12-17

No.61 あ、安部礼司

低い位置に限界のあるメディアが好きなのかもしれない、と最近思う。
テレビドラマはほとんど見ない私だが、同じように下らない内容でもラジオドラマはやっていれば必ず聴くようにしている。
北海道では、土曜夕方の『トヨタドライビングシアター』と、日曜夕方の『あ、安部礼司』である。
特に、世代的にツボなポイントが多い後者は、聴き逃すと悔しいぐらいだ。

ラジオドラマでは、テレビや映画とは違い、場面の情景は脳内で組み立てることになる。
それが、楽しいのだ。
テレビドラマはある意味、考える余地を減らすことを目的としている。『渡る世間』や『水戸黄門』が典型だ。
そのわかりやすさが、私にはつまらんのだ。わかりやすいからこそ、リアリティに欠く。
所詮テレビだから、というエクスキューズは私には通用しない。
言わなくていいこたぁ、言うな。と言いたいわけだ。

2006-12-11

No.60 豆苗

野菜の発芽したばかりの幼苗は、独特な物質が含まれ、体にいいものが多いそうだ。
代表はもやしだ。カイワレ大根もこの仲間だ。ブロッコリースプラウトの発癌抑制作用が注目されたこともあった。
私は、健康がどうとかより、独特の香味が好きなものが多い。
中でも私が特に好きなのが、豆の芽を日に当てて育てた、豆苗である。
うまい、上に、最近売っているものはマット状になった根がそのままついている。その根を水栽培するとまた生えてくるのだ。
ケチな私には、たまらなくかわいい奴なのである。

豆の香りを凝縮し、青っぽさを加えたような独特の風味を活かす、料理例。
フライパンにゴマ油を入れ、煙が出るほど空焚きする。
豚の細切り肉を入れて炒め、色が変わったら3cmほどに切った水菜と豆苗を入れる。
水分が出てきたあたりで醤油を回しかける。
この間、3分ほど。豚の旨味が菜っ葉に乗り、ゴマと豆苗と醤油の香りがたちこめる。
これをそのまんま丼飯に乗せる。がっつく。
うまいんだよ。書いてたら食いたくなるぐらい、うまいんだ。

2006-11-12

No.59 アドルフに告ぐ

読みたい読みたいと思いつつ、読んでいなかった漫画というのがいくつかある。
何を言われなくても意固地になりやすい私は、名作と言われるものほど読んでいないかもしれない。
やっと、読んだ。4時間かけてゆっくり全部読み切った。

ひとの、帰属意識と、謂われのない憎しみあいと。
愚かしい、と言ってしまえばそれまでだ。
だが、そんなに簡単に片付けられるものではないのは確かである。

やや右寄りを自覚する人が増えている。
あまりに劇場的な前政権の異常なまでの高支持率が、それを裏付けていた。
是非、読んで欲しい。
日本人である前に、何なのかを考えて欲しい。
憎しみに憎しみで報いる限り、憎しみの連鎖は終わらない。
私は日本が好きだが、国の体制のために命を捨てるつもりはない。

2006-11-07

No.58 雪

週間天気予報を、今朝から何度も見てしまう。
今週末、雪の予報が出ているのだ。
既に旭川や稚内では降っている。いよいよ、私の町にもやってきたのだ。

北海道に住んでいれば、好むと好まざるとに関わらず雪と付き合わされる。
疎ましく感じるときも、やはり私にもある。
それでも、やはり雪が好きだと思えるのは、その美しさもまたよく知っているからだ。
白いから、ふわふわしているから、そういう単純に視覚的なものだけが、雪景色の美しさの要因ではない。
雪は、音を吸い込む。聴覚を消す。
雪は、匂いを包む。嗅覚も消す。
五感のうち二つが失くなれば、自然と残りが研ぎ澄まされる。
肌をさすような冷たさの中で、ゆるやかな冬の日差しに輝く晴れた雪の朝。
大粒の綿雪がひらひら舞い降りる夜の電灯の下。
僅かに聞こえる、自分が踏みしめる雪上の足音だけがぎゅっぎゅっと鳴る中で。
一人歩いた美しい記憶は、私にとって大切なものなのである。